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1月17日は阪神淡路大震災が起こった日でした。
毎年この頃になると思い出すのが実家で飼っていた柴犬のことです。
そのことを漫画に描いて、当日にアップしました。
今回はそれを再度掲載して、補足を記事にしようと思います。
実家は被災しましたが、幸い半壊で済み、両親もわんこも怪我なく、無事だったことは幸運でした。
ただ、インフラは完全にストップ、家の中はガラスなどが散乱し、とても住める状態ではなかったので、知人のツテで山の上にある被害がなかったお宅に夜だけ泊まらせてもらう事になりました。
問題なのは犬のことです。
当時は今のような同行避難の概念が一般的ではなく、外飼いの犬もたくさんいました。「犬は外」という考え方の人もたくさんいたと思います。
知人の知人の家に犬を連れて行くことが出来るわけもなく、避難所である学校などももちろん犬は不可なので行けず。
私は大阪で一人暮らしで動物禁止のマンション、兄も同様で犬を預ける場所はありませんでした。
車も瓦礫に埋もれて動かせない状態だったので、どちらにしても徒歩で預けられる場所がない限りはどこにも連れていけませんでした。
当時はネットも発達していなくて情報も入って来ませんでしたし。
家が全壊していなかったので、ベランダに置いていくことになり、家の中には自由に行けるようにして、フードと水をたっぷり用意して夜には置いていくというのを2週間ぐらいしたと思います。
夜と言っても、電気もガスも止まっていたので漆黒の闇。そんな中にぽつんと置いていかれて、どんなに不安な気持ちだったかと思うと胸が痛みます。
震災当時は窃盗犯なども多かったらしいので、真っ暗な中歩き回る不審な物音がしていたかもしれませんし、家が潰れ、行き場を失った犬たちがウロウロしていたかもしれません。
当時は私も若くて、両親も着の身着のまま、生き延びることが精一杯だったのであの子の気持ちを考える余裕がなく、電車が途中まで動いてやっと実家に行けた時、嬉しそうにしていたワンコが元気に見えたので大丈夫だと思っていました。
その当時あの子は1歳ちょい。
今思えば若くてよかった。シニア犬だったらストレスに耐えられなかったかもしれません。
もともと柴犬はDNAが狼に近いと言われる犬種。
この約2週間の間に野生の本能が呼び覚まされたのか、震災後だんだん食べ物を目の前にすると別の犬に豹変するようになってしまいました。
ご飯を見た瞬間に唸り声を上げて噛み付いてくるぐらい執着して、私は食事をあげる時そばにはいられませんでした。飼い主である母は何度も本気噛みされていましたが、あの子の気持ちを考えると叱ることは出来ず、悲しみつつも愛情を注ぎ続けました。
お皿にご飯を入れたら唸る、でも噛まない、程度までになったのはだいたい7~8歳ごろだったと思います。
10歳近くになった頃は普通におやつもあげられるようになり、シニア期に入ると本当に穏やかになって、小さい子供に理不尽なことをされてもじっと耐える優しい犬になっていました。
震災当時、半壊した家の片付けに帰った母は、夜の間一人だったわんこを散歩に連れて行っていました。
近所は瓦礫の山。家を失って家の前で火にあたっている人もいた状態で犬の散歩をしていると、「こんな時にのんきに犬の散歩なんかして…」と、陰口を言われたりしたそうです。
未だにパニック映画を見られない両親。
災害は人間の心に深く傷を作ります。
そして動物の心にも傷を作るんですよね。
東日本でも被災した犬猫がたくさんいて、新しい里親の元に引き取られた子たちもいると思いますが、どの子も穏やかな生活を送って欲しいと思っています。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。